南部道楽千年祭を開催して 〜その成果と反省点、そして来年にむけての考察〜

2001.11.01
久芳康朗

※このレポートは 2001.11.01 の運営委員会における宿題として提出したもので、内容についてはあくまで私個人の所感に基づいたものであり、委員会の中でも様々な意見があり得ることをおことわりしておきます。

【総論】

第1回南部道楽千年祭の評価は

 客観的に考えれば、大成功と言っていい。とにかく開催できたこと。トラブルや負傷者もなく、滞りなく運営できたこと。予想以上に人が集まったこと。ゲストの助けもあって、本物を見せることと参加することの両立をそれなりに達成できたこと。お囃子など内容的にも実りがあり将来に向けての足がかりができたこと。少ないスタッフが最後まで力を持続してくれたことなど、その成果は枚挙にいとまがない。

 他の地域と比べてみても、当初の理念に最も近い形で、新しい祭りを創るという無理難題を、人と時間と経験とアイデアで克服できたと思う。(そのために貴重な時間を費やした方たちは大変ご苦労さまでした。)

 もちろん、反省点は多く、それらを産みの苦しみとして水に流してしまわないことは大切だが、今回のままで良いわけがないことはスタッフの誰もが共有している問題意識だという前提の上で、来年に向けた建設的な議論を望みたい。運営委員会が十分に機能せず、組織化を図りながら祭りを企画し準備していくという両面作戦をとれなかったことは、今回の祭りそのものの性格とは無関係ではないと思う。

最初にあげておきたいことと、緊急の課題

 それは、あらゆる意味で「情報の共有」をはかることができなかったという点で、今回の問題点は、そこに集約されるのではないかと思う。

 その第一は、市民との情報の共有。これは、単に祭りがあることを知らせるとか、参加者をどうやって集めるかというだけでなく、この祭りの存在意義そのものに関わる問題だったのではないか。今回は初めての開催であり、市民からの自発的な参加が望みにくい状況であったため、主催者側で多くを用意しそれに沿って演じてもらうような形になった。しかし、初めてだからこそまず第一に取り組まなくてはいけないことだったのではないかという疑問が残る。

 そのためには、立ち上げ前の早い段階から情報を公開し、市民の理解を深め、自主的な参加をできるだけ促す仕掛け作りに最も多くの努力を傾けるべきだったのではないか。一番大事なことを怠ったために、後になって人集めに奔走し(担当の方たちはご苦労様でした)、動員をかけられて参加した人たちは、この祭りで自分たちのやりたいことができたと思っただろうか。

 その意味で、プロジェクトの最終報告が終わった2月から実行委員会が開催された4月までの3か月間を内向きの議論で過ごしてしまったことは大きな痛手だった。この時にきいた説明はあくまで役所や商工会議所の理屈であり、市民と共に祭りをつくるという目的とは大きく乖離していた。正直に言うと、私自身はこの時にほとんどやる気を失った。

 さらに遡って考えると、昨年のプロジェクトの際に、インターネットの掲示板を八戸では市民に公開することに決めたのに、青森弘前が非公開となったために八戸も非公開となったことから始まったとも言える。この、三市を競わせて後で発表するという県のつまらない建前があったために、市民による市民のためのプロジェクトが、最も情報が公開されていない事業となってしまった(現に県のホームページをみても、報告書はおろかそういうプロジェクトがあったという痕跡すらどこにも残っていない)。

 その間のプロジェクトの議論も、アイデアはあったが「どこの誰がやるのか」という裏付けがないまま進み、関係者や一般市民からのヒアリングなどの機会は持たれなかった。そして、最終報告が終わったあとも、予算が通るまでとか、実行委員会が結成されてからといった「理屈」により状況は改善されず、一旦オープンしたホームページにも何の情報も掲載されないまま死物化していった。

 この点は、来年に向けて今まず最初に手をつけなくてはいけないことでもある。

 今回は、多くの方に失礼に当たるかもしれないが、あくまで一つのサンプルと考えており、来年の祭りは今年と全て同じではないこと、それは参加者自身がつくっていくのだということを市民に早い時点で広く知らしめる必要がある。そして、その中で将来のコアメンバーとなるべき参加者やスタッフの発掘に全員がすぐにとりかかる必要がある。そのためには、一般市民に広く公開された場で、この祭りをどう考えどう育てていくのか議論する機会(市民シンポジウム)を早急に開催することを提案したい。

 また、次回の祭りの内容・企画や準備状況、議論の内容なども、リアルタイムに公開していく必要がある。

 インターネットのホームページ(HP)は、この祭りのターゲットとなる年齢層にはアピールする手段であり、かつインターネットで「検索してひっかからないものは、無いことに限りなく近い」のである。また、それは24時間稼働し続ける宣伝媒体であるのみならず、HPそのものが参加者と一緒になってつくりあげる「お祭り」であり「お祭りの場」であるととらえることができる。早急にHPを立ち上げる必要がある。

 なお、運営委員会は継続性が求められるものの、祭りの性格上、毎年いったん解散して新たなメンバーを募る形式にしないと新しい血が通いにくくなる。今回の総括が終わって決算が出たら速やかに解散し、全員を公募で採用することにすべき。その際に、もちろん現在のメンバーのほとんど全員がまた参加することが望ましいが、任期は1年ごとにしていつでも辞められるという形式にしないと、祭りが義務になってしまう懸念が大きい。

 第二は、もちろんスタッフ同士の情報の共有の問題。特に私のような情報の最下流に位置する者にとっては、会議に出なければ何もわからず、会議自体も報告事項をきくだけのものになっていた。その間、主要なメンバーは苦労しているのだろうと思っていたが、残念ながら何も手伝えることはなかったしその情報もなかった。情報は組織の血液であり、これが回らないことには組織は動かない。自分は必要とされておらず、居場所が段々なくなっていくのを感じたが、一番最初から関わってきたメンバーの一人として見届ける必要があるという義務感のようなもので最後まで残らせていただいた。

 今は皆さんとともに祭りの場に立てたことに感謝しているが、次に向けて自分なりの役割を考えていく必要性を感じている。

 この状況を改善するために、まず最初にできることとして運営委員会のメーリングリスト(ML)を開設した。これが有効に機能するためには、一部の人には伝わらないという状況では駄目で、全員が参加して少なくとも直接読める状況にある必要がある。また、各自のセクションにおいて何らかの動きがあったときには、短い文で構わないからMLで全員に伝える習慣にしなければいけない。なお、HPの作成・管理のためのMLも同時に開設したので、次回の委員会の際に検討していただき、数人の方には参加していただければと思う。

【各論】

お囃子

 お囃子の出来が非常に良かったことが、この祭りに締まりを与えてくれた。このお囃子は来年以降もそのまま残るものと思われるが、1日目夜のライブ音源などをCD化して配布し、MP3にしてホームページからダウンロードできるようにしたい。
 笛や太鼓の初心者教室を開設し、裾野をひろげ、お囃子でも自由に参加できるようにする。
 6つのリズムのうち出だしのリズムがとりにくいものがあった。単に聞こえにくかったのか聞き慣れていなかったためだと思われるが。
 このお囃子はそのまま固定化していくのか、各グループによるバリエーションを認めるのか。

ストリート

 当初の企画案がわかりにくかった。特に、三社大祭山車組による千年太鼓の位置づけと意味合いが全体の中で理解されていなかった。
 神輿が企画に入ってきた経緯をきいていなかったが、この祭りに必要なものだったかどうか。しかも、一団体のみで場を持たせられなかった。
 パーカッションやリサイクル楽器の人たちも、ただ歩いて止まってでは面白くない。観客も座ってみながら振っているだけで「参加」していると言えるかどうか。
 全員で踊れる踊りやステップが必要か。単純な繰り返しで自由に参加できるもの。誰でも知っているものなど。
 小林先生のところのダンサーは良かったが、真似して一緒に踊れるものではなかった。ワークショップなどの工夫が必要。
 観客との垣根をなくすためには、スタッフ自身がパフォーマーとの垣根をなくさなくてはいけない。
 観客も祭りの参加者。仮装や様々なファッションでの参加など。
 来年はまた違った形にしたい。当初の案のようにパレードで流してひろばや三八城公園にまで流れ込む。スペースはまだあるので参加者は増やせる。内容も新たなアイデアをとりいれたい。
 交通規制が入ってからパレードが始まるまでの時間には何もなく、工夫が必要。
 1日目の会場設営のスタッフが不足していた(土曜午前では社会人は難しい)。
 パレード時には会場係をもっと多数配置する必要がある。
 ストリートに露店がなく、商店街の店頭販売も少なかったので、パレードの前後、特に終了後の歩行者天国の時は人は歩いていてもお祭りとしての活気に欠けた。
 ハレの日の特別な場として、道を、街をつくっていくという形にできなかった。ノボリだけでなく、各店頭のポスターや様々な店頭装飾、その他考えられる手段により「特別な道、特別な街」にしていこうという盛り上げが欲しかった(商店街の協力が不足)。
 ストリートでもひろばでも、大道芸人や各種ワークショップ、フリマやストリートアート、街角ミュージシャンやダンスチームなど、自由な形態で参加できる仕組みにしたかった。

ステージ

 ステージとひろばに関しては、八戸青年会議所(JC)の全面的な協力がなければ開催することは不可能であり、来年以降も同じだと思う。それに対して感謝することはもちろんだが、感謝しつつオマカセすればそれで良しとしてはいけない。JCに全面的に参加してもらうのであれば、JC自身がその活動目的にあった「自らの祭り」として主体的に参加してもらえるよう、今後の働きかけや理解を得ることが重要。JCの活動と市民参加という両面をどのように成り立たせていくのか、微妙な問題ではある。
 ステージ、ひろば、ミュージカル、ストリート相互の関係がやや不明確で、ゲストや虎舞い、ミュージカル出演者や道楽組などが双方で密接に結びつくようにしたい。
 1日目ミュージカル終了後は、前列の椅子を撤去して、客席とパフォーマーが一体となれるスペースをつくってもよかったか。ライティングも活用して、客席との一体化を図れなかったか。来年も同じような時間をつくって、自由な企画で盛り上げられるのではないか。可能性を感じた。
 ステージの高さはどうか。低いという声もあったが、周囲との垣根を少なくするために、4方向に開かれていて、高くしない方が良いと思う。当初案のように、正面をつくらない方が良かったのではないか。
 タバコ販売組合は、今回は時間の関係で仕方がなかったが、次からはステージに上がって何かするのは遠慮してもらいたい。ステージ上は祭りそのものであり、企業の参加と祭りの関係は議論が必要。タバコは青少年の祭りにはふさわしくない。客席のゴミも大半がタバコの吸い殻。会場全体を無煙・禁煙の祭りにしたい。アルコールも18時以降とする。

ひろば

 出店は有名店が多く堅実だったが、来年からは素人やフリマなどの出店も増やし、三八城神社の方に普通の祭りでみられる屋台なども入れてもいいのではないか。
 市役所前広場から公会堂前、三八城公園(工事が完了すれば)まで含めれば、参加者が増えてもスペース的に余裕はあると感じた。

ミュージカル:南部の歴史とは

 昨年のプロジェクトの後半になってから、南部の歴史をモチーフとして祭りに取り入れることになったのだが、その意味が一般の方やスタッフに理解されていたか。あるいは、理解されやすいものだったかどうか。そして、当初はストリートにおける歴史ミュージカル&パレードという案だったが、議論の末に(なのだろうが詳細は知りません)今回のような歴史そのものをミュージカルにしてステージで演じることになった。
 ミュージカルの出来は予想以上に良く、空手の構成など上手く組み込んだものとその手腕に驚いたが、結局、南部の歴史を祭りに取り入れた意味は何だったのか。参加型という点は、ミュージカルに一般参加が得られたということで良しとするのか。来年も全く同じ形でミュージカルの続編をやるのかどうか。
 歴史を取り入れたのは、いわば「温故知新」といった目的が主だったはず。歴史という取り上げ方が、次につながる「知新」になりそうかどうか、自問しながらの祭り作りが必要だろう。この地の祭りに、この地の伝統や歴史が反映されないのであればそれは根無し草になるが、南部の歴史についての理解のされ方が、世の中にある「ナントカ時代祭り」のような陳腐なものに思われていないか、心配がある。祭りのタイトルにも南部を組み込み、宣伝でも南部の歴史を打ち出したが、それが祭りの将来への足かせにならないかどうか。

当日の運営

 主要スタッフ間で同時に連絡できるシステムが必要。
 各会場の街角モニター。携帯メールで定時連絡。
 指揮系統の統一、当日の連絡網、人員の配置など。

さまざまな活動との連携を

 同時期に企画されたイカノフや、南部芸能祭?などとの連携をとれなかったか。公会堂や美術館など街のあちこちでお互いにメディアミックスで刺激しあい参加しあうような可能性を探る。
 教育委員会・公民館の学社融合とも連携をとって、地域の子どもと大人が一緒に参加でき、地域社会の活性化に繋がる形を模索したい。福祉関係、ボランティア団体、青年会議所、国際交流団体などの活動とも連携。
 関西人の集まりである「関西talker」では何らかの形での来年の参加を表明している。

若者を引き入れるためには

 すっぽりと抜けていたのが、本来のターゲットである若者。彼らに参加させるには、自分で企画し自分でつくらせること。大学や高専のサークル活動などを通して意見を聞く。
 この祭りには、参加者それぞれが異なった目的を持ち異なった達成感を持ってよいが、祭りのイメージを拡散させないためには、それらを皆で共有することができるかどうかポイントとなる。

商工会議所

 お役所体質、縦割り体質を排して、事務局全体でバックアップして欲しい。
 そもそも商工会議所が全ての事務を引き受ける形でいいのかどうか、議論が必要。

昨年のプロジェクトから今年の祭り、来年の祭りへの移行

 新しいメンバーが加わり、新しいアイデアが加わり、新たな面を加えつつ発展していけるようにしたい。ある意味では、今年から来年への移行が一番難しい問題かもしれない。
 予算の付かなくなる4年目に向けて、2年目3年目が勝負の年となる。パブリシティ戦略をしっかりととり、最初からやり直す必要がある。よく考えてみると、時間はあまりない。

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